「与える人こそが成功する」
みなさん、こんにちは!まな太郎です。
突然ですが、あなたはビシネス書と聞いて何を思い浮かべますか?
・いかに効率よく仕事をするか
・どのようにライバルと差をつけるのか
・人脈を広げるにはどうすればいいか
などなど…
周りの人よりも、自分がいかにして幸せに生きるのか。ポイントとして書かれている本を数多く見かけます。
ですが、今回紹介する本は、それとは反対に与える人(ギバー)をキーワードにしています。
これを聞いて、ある人は「与えることは偽善だ、世の中はそんな甘くない」と言うでしょう。
では、なぜ与えることが自分のためになるのか。成功するための秘訣となるのか。その謎を解明していきたいと思います。
・新しい観点のビジネス書を読みたい
・与えることで成功するコツを知りたい
・ 誰かのために役に立ちたい
テイカーとは何者か
テイカーの頭のなかは「自分の評価」でいつもいっぱいになっている。自分の評価をなるべく楽をして上げることしか考えていないからだ。
「テイカーとは自分の評価を第一に考える人です」
テイカーは、自分の評価を最優先に考えます。なぜなら、自分への評価が人生を左右する重要なものと捉えているからです。
そのために他の人間にとって、自分がどう思われるかを判断材料として、行動のモチベーションにします。
成功は一人では成し遂げられない
自分の知力にだけ頼った、一見、個人の力が大きい仕事でも、成功するかどうかは自分で理解している以上にほかの人びとの協力にかかっているのだ。
どんな偉業を成し遂げたとしても、それは、その人だけの力で起こったものではありません。目には見えない誰かのおかげで成し遂げることができたのです。
生まれたときにすでに、長い歴史があって、はるか昔の人類のおかげで知識が蓄えられていた場合には、それらを習得するための労力を少なくすることができます。
誰のことよ?
それは誰かが作ってくれたモノだにゃ。
あなたは、身近な問題が起こったときにどのように対処しますか?きっとインターネットで検索したり、詳しい人を頼るかもしれません。
小さな問題に対しては、わざわざ自分で一から考えて、より良い方法を見つける、または発明しようとする人はなかなかいないでしょう。
なぜなら、服についた汚れを落とすために様々な方法で試行錯誤するよりも、すでにある情報を調べた方が労力も時間も削減できるからです。
より大きな成功の影には、たくさんの失敗が隠れています。その失敗は、過去を生きた世界の誰かのものです。つまり、過去の人から与えてもらったものなのです。
相手の痛みはわからない
心理的・身体的な興奮状態を経験していないとき、人はそれが自分に与える影響をひどく過小評価するのだ。
「あなたに私の何がわかるの?」
人は自分の痛みは感じ取ることができます。それは子どもの頃に転んで怪我をして痛いと感じた身体的な痛みと相手からひどい言葉を受けて傷ついたという心理的な痛みです。
痛みがあるからこそ、人間は相手を思いやることができるようになります。自分がされて嫌なことは相手もされたくないだろうと考えるからです。
ネコの痛みもわかってほしいにゃ!
相手を思いやるために痛みがある一方で、相手自身の痛みを本質的に理解することはできないという何とも皮肉な一面があります。
身体的な痛みであれば、多少は想像することができるかもしれません。女性が出産するときの痛みを再現したプログラムをご存知でしょうか。これが話題になったのは、擬似的にその痛みを男性に体感してもらうことに意義があったからです。
しかし、心の痛みは人それぞれ違っています。
だからこそ、先ほどの「あなたに私の何がわかるの?」という言葉をかけられると、相手のことを理解できていない自分に、もどかしさと後ろめたさを感じてしまうのです。
戸惑ったことがあるにゃ…
あると思ったわよ。
どうしてわかったのにゃ!
では、相手にしてあげられることはないのでしょうか。まず最初に考えられるのは、相手が苦しんでいる様子を見て、非難をしないことです。
「あの程度のことで情けない」
「根性が足りないからダメなんだ」
このような言葉を発してしまうのは自分本位に物事を捉えているからです。苦しんでいる人からすれば、深刻な状態です。
相手が苦しんでいるときは、自分が苦しかったときを思い出してみると、本当にしてもらいたかったことは何だったのかを再認識することができるので適切な行動をとれるようになります。
次にできることは、相手に寄り添うことです。
「何も言わなくていいからそばにいてほしい」
というのであれば、アドバイスや質問をせずに文字通りに寄り添います。
「今は、ひとりにしてほしい」
というのであれば、距離をおいて、相手から連絡してくるのを待ちます。
「どうすればいいと思う?」
というのは、必ずしもアドバイスを求めているとは限りません。まずは相手の話を聞くことに専念します。そうしているうちに苦しんでいる理由を相手が自ら発見できるのが理想です。
なぜならば、こちらから「〜すれば良いのでは?」という提案をしてしまうと間違った解決方法にもかかわらず、相手が従ってしまう可能性があるからです。
これでは、本当の問題は解決しません。また同じことを繰り返すだけです。
相手が主体的に自分の悩みを解決できるようにサポートすることが最善です。
相手が欲しいものをプレゼントする
贈る側は独自の贈り物をするほうがいいと考えたのに対し、受け取る側は「欲しいものリスト」にある贈り物のほうを好んだのである。
「自分が一生懸命に考えた贈り物はきっと喜ばれる」
そのように考えたことはありませんか?
その贈り物は、本当に喜んでもらえるのでしょうか。
自分が考えたものか、相手が欲しいものか。というのは議論されるべき問題です。
先に結論を申し上げますと、私は、相手が欲しいものを贈ることに賛成します。なぜなら、相手にガッカリされる可能性をゼロにすることができるからです。
それに加えて、欲しいものをプレゼントするのですから、贈り物として失敗するリスクをなくすことが可能です。
センスが悪かったら、ゴミb…
もうそれ以上は言わないでほしいにゃ!
一方で、自分で贈り物を選びたい人の気持ちもわかります。何をあげたら喜んでもらえるだろうかを悩むことは相手を思っての行動です。
特にサプライズを演出するためには、必要なことだと考えます。
「あなたが選んでくれたのであれば何でも嬉しい」
と言ってもらえることもあるでしょう。
しかし、ここではそのような関係性は考えずに贈り物が相手にとって必要なのかに焦点をあてています。
もしも、欲しいモノをあげて、ガッカリされるのであれば、それは、後になってから必要ではなくなったという状況においてでしょう。
最初から、残念に思われて、本当は嬉しくないのにもかかわらず、表面上だけ感謝されるのはプレゼントする側も悲しいですよね。
この状況をより身近に考えられる例としては、
「誕生日に両親からプレゼントされた。ワクワクしながら箱を開けてみると中には難しそうな本が一冊。本当はゲーム機が欲しかったので、非常にがっかりした」
このエピソードで注目するべきなのは、両親と子どもの間で良いプレゼントに対するイメージが異なっていたということです。
両親からすれば、
「子どもへの良いプレゼントは何だろうか、そうだ、本にしよう!それならば、教育にも役に立つだろう」
そのように考えて本をプレゼントしているので、悪意などはいっさいありません。一方で、子供からしてみると自分が欲しかったものとは違うので残念な結果となってしまったのです。
相手のことを第一に考えているのであれば、相手が欲しいと思っているモノをプレゼントすることが大切なことなのです。
自分のために与える
「他者志向」になるということは、受けとるより多くを与えても、けっして自分の利益は見失わず、それを指針に、「いつ、どこで、どのように、誰に与えるか」を決めることなのである。
与えるときに気をつけなければならないのは、相手からの要求にすべて応える必要はないということです。
時間やお金など、何でも相手に与えてしまうのは、自らを破滅に追い込みます。多くの人が与える人になりたがらないのはこの理由が考えられます。
与えすぎると自分のために使える時間やお金が無くなり、人生が貧しい状況になるのではないかと不安になるのです。
それに対する打開策は、与えることを制限するというものです。この世界には、すべてを与えてしまう方も存在するとは思います。
しかし私も含めて、時間もお金も一人では使いきれないほど有り余っているという人は多くないでしょう。
それでも自分ができる範囲で与えることは可能です。たとえば、道に落ちているゴミを拾って捨てたり、笑顔であいさつをしてみたり、どんなに小さなことでも、誰かにプラスの影響を与えられるのであれば、それは偉大なギブです。
また、相手に与えることで自分にとっても良い影響があります。街のゴミを拾って捨てると、なんだか良いことしたなぁ…と心に新鮮な空気が入ってくる、洗われるような気分になります。
そんな経験あるにゃ?
ゴミが落ちていたらどうするにゃ?
このような影響を自分の利益と捉えることができます。お金だけが利益になるとは限りません。人のために役に立ったことに価値を見出すことができるからです。
ボランティアをする人たちに、報酬として金銭を支払うのはどうでしょうか。きっと、ある人は「お金のためにやっているんじゃない」とボランティアに対する意欲が低下してしまうかもしれません。
相手のためにしたことが、自分のためにもなっていた。ただ与え続けるよりも、自分の利益を見失わず、与えるモノ、または量を自分で決める姿勢を目指すべきだと考えられます。
結論
「与えることが人生を豊かにする」