内向的な人間の生き方

  • 2019年9月12日
  • 2019年9月13日
  • 書籍

 

「あなたは、内向的な人間ですか?」

 

みなさん、こんにちは!まな太郎です。

 

いつもネガティブな考え方をしてしまう。

人と付き合うことが苦手

 

そう感じることはありませんか?

 

周りと比べて、うまくできない自分は、なんてダメなやつなんだと落ち込んで、責めることの繰り返し。

それは、あなたが内向的な人間だからかもしれません。まずは、この状況があなただけではないということを知っていただきたい。

 

では、内向的な人間はどうやって生きていけばいいのか。結論は、無理に苦手なことをする必要はないということです。

 

「そんなこと言ったって、社会は許してくれないんだよ」

「しなくていいなら、とっくにやめてる」

という声があるのは、わかります。

 

ですが、内向的な人間には、ちゃんと適した生き方があるのです。それにも関わらずに、反対方向に進んでしまうと自分を責めてしまうという悲しい結果になります。

 

そこで今回は、内向的な人間がどうして人付き合いが苦手なのか。悩みが無くならない状況をいかに突破するのかを教えてくれる一冊を紹介いたします。

 

 

こんな人にオススメ!

・内向的になってしまう

・ネガティブになってしまう

・それでも、この状況を変えたい

 

内向的な人は存在する

 

人付き合いがあまりうまくなく 、どちらかというと根暗で 、ネガティブで 、完璧主義で 、細かいことにこだわる神経質な性格で 、なかなか社会の人々と協調できない … …そういった性質が挙げられるでしょう 。

 

社会的には、知り合いをたくさんつくって、交流して、コミニケーションをすることが健全なことだとされています。

ポジティブに生きて、明るく元気にいこう!という前向きな言葉が否定されにくいのは、社会がそうするべきだとしているからです。

 

反対に、友達が少なかったり、性格が暗かったりすると、努力が足りない。打たれ弱い。我慢ができないやつという人間性そのものを否定されかねません。

 

しかし、根性で乗り切る、気合いでなんとかするといった言葉は、一見すると美しいと感じられますが、よく考えてみるとおかしいことに気づきます。

なぜなら、人間は、いつも元気ではいられないからです。気分が乗らないときや元気がないときもあるでしょう。

 

そんな時は、一息ついてからまた頑張ろうとすれば良いのです。24時間、常に笑顔の人間は存在しません。いたとしても、意図的にしているものでしょう。

ストレスに対する強さが人それぞれ異なるために、外交的な人間と内向的な人間が存在するのです。それを根性が足りていないや努力しろというあいまいな言葉を使われてしまっては、どうしようもないです。

 

だから、まずは、内向的な人が存在するのだという事実を認めてあげるのを始めることが必要なのです。

 

友達の定義は異なる

 

しかし境地開拓型の人 (内向的な人 )は 、一 ~二回程度会っても 、なかなか 「友達だ 」とは表現しないものです 。

 

「友達ってなんでしょうか」

一回話したら、友達といえるのか?過ごした時間で決まるのか。やったことで決まるのか。そう一度は考えたことはありませんか?

 

他の人から、「あの人って、友達なの?」と聞かれて、

「うん、まあ、そうかな…(友達って呼んでいいのかな)」

と悩むときがわたしにもありました。

 

一度話したら友達じゃん。深く考えすぎじゃない?

という捉え方があるのは理解できます。

 

小さい頃は、「友達になろうよ」「いいよ」なんて会話をすれば、友達だと胸を張っていえたのかもしれませんが、大学生の今となっては、そんな会話はしません。

会ったその日から、友達だと考える人もいれば、最低でも1年間ぐらいは一緒にいないと友達だという認識を持つことができない人がいます。

すぐに、その日からブラザーになることは抵抗があり、グイグイ来られると思わず引いてしまうのです。

心の距離の取り方は、自分自身が心地よいと感じることができるものが一番です。相手との距離感に困ったときは、自分の違和感を否定しないようにしましょう。

 

根拠がないルールは存在する

 

古い社会維持型の学校ほど 、 「混乱を起こしてでも抜本的に是正する 」ことができません 。こうして古くなったル ールや 、無意味なル ールが生まれます 。

 

「理解できないルールはありましたか?」

 

外交的な人間であるほど、社会のコミュニティにおいて、現状を維持することを好むため、時間とともに捨てられるべきルールが放置されていることがあります。

学校においても、校則として守るべきなのは、秩序を乱さずに規則正しい生活を生徒が過ごせるようにするためだと考えられています。

たとえば、髪を染めるのを禁止にしたり、ピアスを開けることをいけないことだとするのは理解することができます。

これらは、学校という空間に統一性を持たせるためだと考えられるからです。一方で、これは本当に必要なのか?と疑問を抱いてしまうルールがいくつかあります。

 

それは、先輩から後輩に対する通例行事などです。厳しい部活動では、1年生はもちろん先輩よりも早く来て、準備をしなければ’なりません。

そんな1年生に対して、何かをするといったものが毎年行われているとします。

それが、楽しいことや役に立つことなら良いのですが、苦痛や恥ずかしいものだと1年生としては、先輩に対して理不尽さを感じることになります。

なぜこのようなことをするのかと聞いても、うちの部の伝統だから、自分たちも先輩にやられたからという答えが返ってくるというものです。

 

これは、グループとしての結束力を高めるために、そして、変化することをやめたことを肯定するためにしているのです。

わたしも学校で、暗黙のルールを1年生の時に感じたことがあります。

部活動はとっても楽しいものだったので、それほど悪い思い出ではないのですが、今でも、そのルールのことは疑問に思っています。

 

何の目的のためなのか理解できないルールは、社会を維持するために存在しているのです。それは、コミュニティを壊さないためでもあります。

これらを理解していると理不尽なルールに直面したときに、

「社会を保つためにやっているんだな」

と割り切ることができるので、心に少しだけゆとりを持たせることができるようになります。

 

意味がある仕事をしたい

 

境地開拓型は 、 「意味ある生き方 」を求めます 。 「自分が何か意味あることをして 、人のためになりたい 」という思いが 、境地開拓型の特徴だとも言えます 。

 

「意味のある生き方をしたい」

そう考える方は、たくさんいるのではないでしょうか。

ですが、意味を求めれば求めるほど、社会では役に立つことができなくなります。それは、決められた仕事を全うすることが必要とされるからです。

会社で事務作業をしている時に、コピーをとって、この書類をまとめることに何の意味があるのだろうと考えている暇はありません。

小さいことだと思われている作業でも、実際は、社会全体のためになっているのだと考えることもできますが、やりがいを見つけるのは難しいです。

やりがいというのは、自分が誰かの役に立っているのだと実感することから感じとることができます。

例えば、自分で絵を描いたり、映像を作ったり、本を書いたりするのは、その作品によって、相手が笑顔になってくれたり、幸せを感じてくれたりするのが目に見えてわかります。

それは、自分が役に立っているのだと直接、目で見て、肌で感じることができるからです。

内向型の人間は、集団に属するよりも、一人で黙々と作業をするのが向いています。もし、あなたが職場に不満を持っているならば、それは、あなた一人が悪者なのではなくて、ただ、適していないだけなのです。

意味のある生き方が必要なことを認めてあげることで、これからの働き方を見直してみるきっかけになります。

 

結論

「内向型人間は、自分で道を切り開くことで、生きる意味を感じることができる」

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