ハッタリの流儀

  • 2019年9月18日
  • 2019年9月18日
  • 書籍

 

 

「ハッタリこそが、至高である」

 

 

まな太郎
ちかちゃんは、
ハッタリをかけたことはあるかにゃ?
ちか
べつにないわよ。
まな太郎
テストの赤点回避するって、
この前行っていたのにゃ。
ちか
あれは、ハッタリじゃなくて、
本当にそう思ってたの!
まな太郎
にゃ!?そうだったのにゃ?
いつも赤点だから伏線かと…
ちか
あんたのご飯抜きにするから
まな太郎
ごめんなのにゃ!お詫びにハッタリをうまく使えるようになる本を教えるにゃ!

 


 

 


こんな人にオススメ!

・挑戦することができなくて悩んでいる。

・SNSで主役になりたい。

・ハッタリの流儀を知りたい。

 

挑戦する姿が人を惹きつける

 

大切なのは 、成功するという 「結果 」ではない 。 「挑戦する様を見せること 」なのである 。

 

「人が感動するのには、ストーリーがあるから。」

 

結果だけを知ったところで、何も面白みを感じることはできない。たとえば、スポーツ観戦を取り上げてみると、ただ結果だけが知りたい人はごくわずかでしょう。

それは、限られた試合時間の中で、選手たちが汗をかいて、必死にプレイをする姿に心を動かされるからです。

 

ちか
たしかに、結果だけを
知るのはつまらないわよね。
まな太郎
結果よりも過程を見たいのにゃ!

 

「あの時の〜選手の動きは最高だったよね」

と試合の結果よりも、話題性になるのは、そのためです。

さらに、スポーツ以外のことにもあてはまリます。

それは、人生です。私たちは、一人ひとりが人生というゲームのプレーヤーです。それぞれ、生まれた場所や先天的な能力には差があります。

その中で、いかに生きていくのかがストーリーになり、苦しい経験や困難な壁に立ち向かっていく姿に人々は感動するのです。

マンガの主人公も、最初からすべてが満たされているわけではないです。むしろ、マイナスから始まる物語もあります。

それでも、私たちはストーリーに魅了されてしまう。これは、登場人物に自分の姿を重ね合わせているからだと考えられます。

 

ちか
ふーん、そうなんだ。まぁ、
頑張っている姿を見ると感動するわね。

 

似たような経験をしたことがある人や、たとえ、自分とは関係のないものでも、自分だったら、どうするかと想像力を働かせているのです。

私たちの世界でも、マンガの主人公に該当する人がいます。たとえば、SNSで活動している人たちです。

自分のやりたいことを世間に公表する。その活動の理由が、過去の失敗や経験から来ていると伝えることで、見ている人たちの心を魅了しているのです。

勝ち負けの結果には、魅力がない。結果に至るまでのストーリーに意味があるのです。

 

ハッタリをかまして自分を追い込む

 

「ハッタリをかましてその後で辻褄を合わせること 」は 、あらゆる場面で大きな成果をもたらしてくれる 。僕はこれを 、人生の最高奥義だと思っている 。

 

「何かを始める前の準備体操はいらない」

成果を生み出すためには、入念な下調べをして、たくさんの情報を取り入れてから始めなければならないというのは効率が悪いです。

なぜなら、やらなくてもいいことを繰り返してやってしまう可能性があるからなのです。

いつまでも、そのポジションにいると変化をすることができません。同じ場所で足踏みをしているだけです。

 

ちか
でも、いきなり挑戦するのは怖くない?
まな太郎
その恐怖心を克服することで、
成長できるのにゃ!

 

これを解決するには、とにかくやってみるということが大切なのです。できないことをできると言って、辻褄を合わせるようにやってみるのです。

失敗をしたくないというのは、当然の反応。みんな、失敗はしたくないし、恥をかきたくない、バカだと思われたくない。他人に迷惑をかけたくない。

だから、必死に結果を残そうとする。つまり、本気にならざるを得ないのです。まさに背水の陣。自分を極限にまで追い込むことでチカラを発揮することができます。

 

ボケの人が主役になれる

 

今の時代 「つっこみ 」であることには何の得もない 。 「ボケ 」をかまして最大の恥をかく 。そして周りから叩かれる 。これこそが最高のプロモ ーションになるのだ 。

 

「今は誰でもツッコミになることができる」

 

映画を作ったことないのに、話題になっている映画を観て、

「あの映画はつまらない」と言ってみたり、

 

プロ野球選手ではないのに、試合を観戦して、

「あの時は、こうやるべきだったんだよなぁ」ということができます。

 

ちか
そんなこと、わざわざ言うの?
そういえば、この前行ったお店がさ…
まな太郎
ちかちゃん、それなのにゃ。

 

これは、生産者よりも消費者の方が立場が上だとされているからです。消費者が悪いと思えば、その生産物は悪いものだとされます。原因は、モノがあふれている時代だからです。

モノがなかった時代は、状態が悪かろうが、欠点があっても、使えるものがそれだけしかないので、利用するという選択肢しかありませんでした。

ところが、豊かになったことで、消費者に選択をする自由が生まれ、状態が悪い生産物は売れなくなり、市場から追い出されることになったのです。

さらに、インターネットが普及している現代では、消費者が商品レビューにて、評価をすることができます。

また、商品だけでなく、先ほど述べたように、SNSが多くの人にとって、開かれた場所になったため、人物にも評価がされるようになったのです。

 

ちか
評価なんて別にしてないわよ。
まな太郎
有名人について、
コメントしたことないのにゃ?
ちか
それは、あるけど…

 

SNSでは、炎上をしてしまう人たちが出てきました。これも、SNSによって、たくさんの人が意見をすることができるようになったためです。

しかし、SNSで主役になっているのは、ボケている人です。ボケとは、面白いことをやってみたり、目立つことをしている人のことです。

ツッコミを入れる人は、ボケている人に意見をしたり、評価をしたりします。この時に、ツッコミが主役になることはありません。

ボケることは、人に自分のことを知ってもらえるというメリットがありますが、ツッコミを入れる人は、脇役のままです。メリットがあるとするならば、情報を手に入れることができることです。

主役はいつでも、恥をかいて、発信をしている人なのです。

 

結論

「ハッタリをかまして、自分を追い込むことで最大限のチカラを発揮できる」

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